総括 南アフリカ学会・勉強会④・・ワインとブランデーの試飲
総括 南アフリカ学会・勉強会④・・ワインとブランデーの試飲
総括 南アフリカ学会・勉強会④・・ワインとブランデーの試飲
 
ちょっと前のことだけど、、
1月に行ったアフリカのこと・・
いそがしくてアップできてなかった思い出とか
一年の総括として書いておきたいと思います。。
その勉強会(合宿のようなもの)は
ケンブリッジ大学の教授を中心とする欧米の医師、
疫学者、統計学者が中心となって主催したものでした。

この教授の所属は僕がオファーを
戴いたところとは異なるけど、でも同じ敷地内で
とても近い距離にいて、、不思議な縁を感じます・・ 
 
そんなアフリカ滞在で記憶に強く残っていることの
ひとつが、勉強会の合間に参加したワイナリー
ツアーでした。
お酒好きの僕は酒造りとかそのお酒にまつわる
エピソードに興味があるので、このツアーは
すごく貴重な体験となりましたよ。

大航海時代の後、南アフリカに移住したヨーロッパ人が
普及させたぶどう園、ワイン、ブランデーの製造。
家族で支えてきたというぶどう園や醸造施設、レストラン。
樽を作る老年の職人さん、フランスからの無償援助、
ヨーロッパに挑戦するためにできた組合の歴史・・などなど。
頷きながらただただ感銘を受けるのみでした。

そういえば日本酒の醸造などもぜんぜん知らないな。
日本に限らず、いろんな国でその国の文化を支えているものを
いろいろ見て回りたいなと強く感じたのでした。
最近はイギリスで購入してきたグラスに注いだお酒を
自室でちびりちびりやって楽しんでます。
 
   
  
さてさて、、

1つ目の写真・・
ブランデー製造の大手KMV(http://www.kwv.co.za/)。
案内役は長身で白いひげを生やしたジーンズのおじさん。
雰囲気、まんまでした。

ブランデーを5年もの、10年もの、15年もの、20年もの・・
と用意してくれて、さらに4種のチョコレートも。
ミルク、ナッツ入り、ダーク、そしてスタンダードなもの。
「チョコレートを口に含んで、ブランデーを飲んでみて」
っていう紹介でした。
とってもよい経験でした!
ブランデーはどうやら古ければ良いというものではないみたいで
15年ものが一番、美味しかったです。
実際、参加者の中でもそれが一番人気でした。
そしてそれにダークチョコレート・・かな?
 
 
2つ目の写真は訪れたワイナリーの1つ!
http://www.opstal.co.za/
白ワインと赤ワインの試飲をした後、皆でお食事をしたのでした。
骨付きラム、アスパラガスのベーコン巻き・・など。
もちろんワイン付き!
あるワイン農家の分家の3代目の方だそう。
ご家族できりもりしていてオランダを中心とするヨーロッパ各国へ
ワインを輸出しているよう。

3つ目の写真はぶどう園!
とっても広大できれいでした。。
若い実も実っていましたよ。
独特のきりたった山々も印象的。
 

Cambridge
Cambridge
Cambridge
 
11月、初めて降り立った英国は、
ありきたりだけど、とても美しい街並みで
歩くだけでもワクワク楽しかった。
今住んでいるボストンもアメリカの中では
イギリス風の街並みがもっとも再現されてる
所だと思うけど、やっぱりそこにはない深い
歴史を思わせる重厚さがイギリスにはあった。
といっても、滞在したロンドン→大学のある
ケンブリッジ間しか見ていないし、用事を
済ませる前だったから英国の空気を満喫、、
とまではいかなかったけど。。。
 
  
ちょうど11年前、2002年のまだ渡米して間もない
学生だった頃に疫学研修でバングラデシュに行く際、
6時間ほどヒースロウ空港に滞在した事があったが、
その時に漠然と、いつか学会かなにかで又イギリスに
来る機会があればいいなと思ったのを覚えている。
そんな僕が今回C大学でパーマネント(永久職)待遇で
ポジションを得ることができ、来春から英国で暮らす
事になりました。
先日、首を長くして待っていた正式な書類が届いて
やっとホッとしたところ。。

インターネットでしか見たことなかったケンブリッジは
街全体が大学施設という感じで、圧倒されてしまうほど
格式が高くて威厳があった。
インタビューはC大の付属病院にて行われ、3人の教授による
長いものだった。
その後、少し大学を案内してもらってから今度は一人で
ぶらぶら歩き、この街で学生として過ごしていた恋人に想いを
はせながらゆっくり探索してロンドンに戻った。

そんなことだから、インタビューして下さった教授(直接のボスになる人)から
電話で話をしたい旨のメールを頂いていた事に全く気付かず焦った!
そして帰国直前になってようやく繋がったその電話で、ポジションを
オファーしたいと告げられたのだった。
日本に限らず世界中で科学者の就職が社会問題と化している状況で、
H大に続きC大でパーマネントポジションを頂けたことは光栄の至りです。。

今思えば、C大の教授とのやりとりはインタビューに
行く前の段階から手ごたえを感じるものでした。
書類選考の段階から興味を持ってくれてたみたいだったし、
何度かメールしたり。。僕も、僕にしては珍しく最初から
どこか打ち解けたところがあったかも知れない。
そもそもC大は4年前、H大と同じくらい行きたいと思ったところ。
やっぱり縁があったみたいだ。。

ともかく、今は3月の学会までH大での仕事をしっかりこなそう!
立つ鳥、跡を濁さぬようにしなければ。。

 
 
写真も撮りました!
1枚目はケム川!
ケンブリッジの由来とされている川です。
パントと呼ばれる小船がならんでいます。

2枚目、3枚目を写したのもその近くです。
大きなショッピングモールもあり、こじんまりとした
通りもあり、教会らしい建物もあり。
とってもきれいでした。

3枚目の左側にはCOSTAというコーヒーショップが。
http://www.costa.co.uk/
ロンドン、ケンブリッジにも多くありました。
今後、たくさんお世話になるかも?
サンディエゴ学会!
サンディエゴ学会!
サンディエゴ学会!
 
 この間、学会でサンディエゴに
 行ってまいりました。
 
  
 サンディエゴに行ったのは2度目
 だったけど、洗練されたリゾート地
 という感じで海も街並みもキレイでした。。
 食べ物もシーフードが豊富で新鮮で
 すごくおいしかった!
 ボストンもシーフードは豊富だけど、
 気軽に食べられるお店はそんなに
 多くないですな。。。
 

 ボスを含めた自分の研究チームとは
 現地で集合。。元同僚のギリシャ人や、
 この間の南アの勉強会で知り合いに
 なった人たちと久しぶりに顔を会わせて
 楽しかった。。
 阪大から団体でいらしていた方たちは
 その後H大に来られ、色々案内させて
 いただいたりと親しくなり、有意義でした。

 
 僕は2つの口頭発表と1つのポスター発表が
 控えていて、ぎりぎりまで準備に終われたけど、
 滞りなく無事に済ませることができましたです。。


  
 写真1
 きれいな海岸線・・
 きもちよかったです!
 
 写真2
 口頭発表を行った会場!
 かなり幅の広い大きな会場でした。
 ここで2度も発表できたなんて光栄・・。
 
 写真3
 ポスター発表の会場です。
 ホテルの敷地内に建てられたテント!
 ゆとりがあってとってもよい雰囲気でした。

 
 皆さまのところにはのちほど時間がある時に~!


南アフリカ学会・勉強会③ &映画&きのこのお話
南アフリカ学会・勉強会③ &映画&きのこのお話
南アフリカ学会・勉強会③ &映画&きのこのお話
なんかもうアフリカに行ったことすら
忘れかけてるんですが、、、
書きかけの日記だったので
最後まで書こうかなと思いまして。。。
 
僕は普段映画館に行ったり
DVDを借りてみたりしないので
僕が映画を観る機会となると
飛行機に乗るときだけだから、
結構楽しみにしています。。
といっても全然詳しくないけど、
感想を書いてみました!


今回の往復のフライトは、
ボストン→(7時間)→アムステルダム
→(11時間)→ヨハネスブルグ→(2時間)
→ケープタウンというもの。。
今回観た映画は次!


・The Debt
 ユダヤ人虐殺に加担した医師を捕まえ英雄となった男女3人の話。
 取り上げた内容に期待を膨らませたものの
おもしろかったのは最初の3分の1くらいだったと思います。

・Princess Toyotomi
 税務官(だったかな?)が、大阪の公的資金の使用履歴を調べていくうちに
大阪の秘密に迫っていく・・!
あまり深く考えてはいけないエンターテインメント。
お好み焼きとかたこ焼きとか美味しそうでした。
たぶん、お好み焼き業界、たこ焼き業界がスポンサーだったと思う!

・僕たちは世界を帰ることができない(But, we wanna build a school in Cambodia.?)
カンボジアで学校を作ろうと奮闘する医学生の話。
映画というよりも、ドキュメンタリーという気持ちで観ました。
実際のカンボジアの歴史の描写や、学生の葛藤などよく表していたのでは?
公衆衛生の実践の難しさなどの描写もあって馴染みがありました。 
 
・アンフェア
あの篠原涼子がいつのまにか主役級の女優に・・!?(疎くてすいません)
騙し合いのサスペンスなんだけど、アンフェアだったか?
とても練り込まれた映画(そのことを主張してくる映画)。
「実はこうでした」みたいな展開が多く
「また、そのパターンかよ(笑)!!」って最後はギャク。
内容は暇つぶしにはまあまぁ。
内容そのものよりも、北海道警察の裏金事件を
題材にしたところが面白かったなと思う。
実話を生かした映画。

・羊たちの沈黙(人気があるのかやってました)
面白かったです。何回か見たことあるんですが。。
どきどきの連続。脱獄シーンが特に震えた。
なんで面白いって思ったのか、、
やっぱり精神科医やらFBIの犯罪心理やら、
FBI実習生の心境の変化やら、そういうところかな。
若いジョディ・フォスターを観てると
若いケビン・コスナーをUNTOUCHABLEで観たのを思い出した。
今回、観た映画で唯一また観たいと思った映画。

たまたま「アンフェア」を観た後にこの映画を観たのだけど
「『アンフェア』でも似た場面あったな」
って思う描写や設定がけっこうありました。

「アンフェア」に話を戻すと、
「羊たちの沈黙」などの猟奇殺人のサスペンスの影響を受け
さらに実際の事件からインスピレーションを働かせて
練り上げた(切り張りした)映画・・という感じ。
なのでオリジナリティはないといわざるを得ない。
別にいいんだけど(笑)

感想にもなってないな。。。

 
写真1
きれいな青空!
円形の可愛いらしいロッジ。。
僕が泊まったところは、
これよりもずっと大きかったけど、
形は普通の別荘という感じのでした。
ちょっとここに泊まってみたかったな(笑)

写真2
一応、スパリゾートだったんだっけ。
ロッジ前にあった小さいプール。。
ウォータースライダーがあるプールもありました。
僕は日に焼けたくなかったから泳がなかった。
僕ならお金があってもバカンスでアフリカは行かないなぁ。
でも空は青くてホントにきれい!

写真3
お料理は朝・昼・夜と大きなダイニングルームで
毎回全員でいただきました。。
こってりコッテリkotteri。。。な感じで
ちょっと飽きました。
デザートも日本のデザートみたいに繊細じゃなく、、
甘甘ドッカーン!
はい、贅沢言っちゃいけません!!



南アフリカ学会・勉強会②
南アフリカ学会・勉強会②
南アフリカ学会・勉強会②
山火事です!

2枚目の写真は、夜更けに撮ったもの!
明朝にはおさまっていました。
近隣の人たちは大丈夫だったのかな・・
特にぶどう農家の人など。。


3枚目は別の角度から。
燃えているのが見えます・・


ネパール人によると、
「ネパールでもしょっちゅうだよ。
太陽熱で枯葉が燃えるんだ。
あるいはタバコの不始末かな。」
とのこと。
(ネパールでは男女ともに喫煙率がひどいらしいです。)

帰り空港に向かう車でも、
高速道路沿いの山の上の方でモクモクと煙が上がっていました。
運転手さんに伺ったところ、
「そうだね~、いつものことだよ」
ということでした。
 
南アフリカの山々は
日本の森林と違って背が低い木々しかないのだけど
山火事も関係しているのかな・・?

南アフリカ学会・勉強会①
南アフリカ学会・勉強会①
南アフリカ学会・勉強会①
お久しぶりとなりました!

先月、アムステルダム経由で
南アフリカに行ってきましたので、
記録がてら久しぶりに日記を
書いてみようかと思いましたよ。。
 
心臓疾患の研究や臨床をサポートする
国際団体があり、研究者を集って
疫学や予防医学のセミナーを行うという
2週間のプログラムに招かれ行ってきました。
参加者は主に心臓専門医、疫学者、
あとは数名の統計学者などを含め
総勢50名ほど。
 
場所はケープタウンから
東に40キロくらいいったところで、
滞在したのは東京ドーム何個分、
みたいな広大な敷地のスパリゾート。
大小様々なデザインのロッジが点々とあって、
僕はアルメニア人医師と南アフリカ人医師の
3人で大きなロッジを共有させていただきました。
南アフリカは真夏だから暑くて当たり前だけど、
なんか寝苦しくて毎日冷房をいれてました。。

日程は、毎日、朝食後すぐにセミナーが始まり、
昼食を挟んで夕食までみっちりディスカッションや
ディベートという非常に密度の濃いもの。。
アメリカやイギリス、インドやアフリカなどの
著名な先生方にお会いすることができ、
同世代の人とも知り合いになることができて
とても有意義でした。

僕はいつも学会で出張しても殆ど観光しないですが、
この2週間のプログラムにはいくつか任意で
観光ツアーが組み込まれていたので参加してみました。
僕は有名なワインベルト地帯にあるワイナリーに行ったり、
フェリーやケーブルカーにのってテーブルマウンテンに
行きました。。とてもキレイでした!!
アパルトヘイト時代の軍事施設や刑務所には、
観光客相手の現地人らが住んでまして、
詳しくはないけど、南アは本当に変革が
起きたのだな~と思ったりしました。

それから世界で初めて心臓移植を行なった、
バーナード博士の記念博物館などのツアーにも参加。
手術中のリアルなレプリカや、移植した心臓が動いた
午後5時58分に時計が合わせてあったり、
とても楽しかった!
1900年過ぎには犬の頭を別の犬の背中に移植して
双頭の犬を作る異常な実験もあったみたいで、
その写真が一番衝撃的だった。。
現地ツアーというのもよいものですね、参加してよかった。

楽しいこと盛りだくさんの滞在中でも、
ひとつ困ったことがあった。。それはネット環境。
立派な施設なのに、とにかくネット接続が
ほとんどできなかった、、つまりメールも
スカイプも利用不可能。
査読の仕事をこなして期日までにメールで
送信しなければいけなかったし、
スカイプはやっと繋がってもどちらかの
声が聞こえなかったり。。大変でした。
南アフリカは世界第二位の犯罪大国、、
滞在中は隣国で観光客が5人も殺害されたりと、
物騒な情報も入って。。自分が無事なことを
伝える手段がないのは心が落ち着かないし、
ほんとに辛かった。
そういうところは、まだ学生の頃勉強会で長期
滞在したグアテマラやバングラディシュの方が
マシだったように思います。。
このプログラムはいつもはヨーロッパで
開催されてるのに、なぜ今年だけ南アなんだよ~
と思ったです(笑)
 
あと施設には自家発電設備があるから困らないけど、
ケープタウン全域の停電も週に数回はあるみたいで
やっぱり日本やアメリカとは違うと実感したり。
でもスマートフォンはアフリカをほぼ網羅してて驚いた。。
アフリカ人のスマホをかりて何度かメールさせて頂いたり、
お世話になりました。

それから施設がある山のすぐとなりの山の
山火事にも遭遇しました。
僕には直ぐ近くで山が燃えるだなんてのは初めての
体験で、一瞬幻想的な色彩に見惚れてしまったけど、
すごく怖かった!
同室のアフリカ人によると「そんなのしょっちゅうだよ」
ということらしいです(笑)

あ、あと、南アフリカはやっぱり異常に乾燥してました。。
人生初のマッシュルームカットの僕の髪はパリパリになって
テーブルマウンテン並みに横に広がりをみせましたとさ。。

 
みなさんのところには後ほど。。。
色々メモ
色々メモ
色々メモ
先のアトランタの学会に行く前々日、
体調を崩しました。。
割と大変な経験だったのでここに
書いておこうっと!

学会前の週末、どうしても片付けておきたい
仕事があって、二日間不眠不休のノンストップで仕事
するという無茶なことをしました。
はい、自己管理できてないです。。。

帰宅して栄養剤のQPを飲んで寝たところ、
Webカメラで僕を見ていた恋人から、
うなされて苦しそうだけど具合が悪いのかと
何度か電話で起こされました。
なんでも、怖い夢を見て恐怖にうなされてる子供
みたいだったらしい。。

熱を測ってみても平熱だから大丈夫だと思ったし、
実際その時は具合が悪いとは感じなかった。
でも数時間後、、、急に胸が息苦しくなってきて
全身の気だるさと筋肉の痛みに襲われて動くことも
ままならない感じで、もう一度熱を計ると今度は38度以上あった。
情けないことに僕は平熱が低くてちょっと熱があるだけでハーハー。。
しんどかった。

朝一で病院に行くことを誓ってうんうん唸りながら迎えた朝。。
下宿させて頂いているご一家がちょうど車を出す予定だと知り、
同乗して掛かりつけ医のもとへ。
なんとインフルエンザとのことで薬の処方をして頂く。

インフルエンザの場合は薬の服用後に、
一時的に症状が悪化することがあるから気をつけるようにと
ドクターから言われ少しどきどき。

今回の学会は受賞式のことがあったからどうしても行きたかったけど、
他の人にうつせないのでもし咳が出始めたり熱が下がらなかったら
行くのをやめようと決断。。
こんな時のために常備しているホットポカリ(粉末)を2リットル
ほど飲みながら夜明けを待ちました。
けっきょく、症状も悪化することはなく薬の効き目もよくて、
熱はなんとか下がってくれ、全快というわけではなかったものの、
咳もでてなかったからマスクをして予定通り学会へ。

普段は寝て過ごす飛行機も、なんとなくもやもやして寝れない・・
これまでで最悪のフライトだったかも?
でも学会中は一度も体調を崩すこともなく無事に終えました。

やっぱりもう学生の時と違って無理するのはよくないですね。
徹夜明けに起きる時間を気にせずに、
ぐっっっっすり眠るのが好きなのですけれど
身体を壊してしまっては・・・
僕は心不全の研究もしているのですが、
あの胸を圧迫する苦しい感じを味わった時は、
心不全と同じ症状ですごく不安になりました。。。
反省・・・

ということで、、なかなか忘れられない学会となりましたとさ。。
 
 
1つ目の写真は、2日目の夕食です!
ちょっと明かりを落とした大人な雰囲気の良いイタリアンレストラン!
グリルの料理に力を入れているお店でいろいろ美味しく戴きました!
何より記憶に残っているのは、このレストランはボスが事前にお薦めの
レストランを調べていて、貸切のマイクロバスに乗って皆で行ったのでした。

2つ目の写真は、ホテルのベッド・・
とても心地がよかったです。

3つ目の写真はホテルの一階で戴いたサンドウィッチです。
これと、ハンバーガーとオーダーしたんですよ!
体調悪かったときは、何も食べていなかったので
お腹がぺこぺこだったのです。
カップはとても濃厚なきのこのスープで凄く美味しかったです。


アトランタに行ってきました!
アトランタに行ってきました!
アトランタに行ってきました!
学会に行きました。

この学会の前に日本の震災。
一ヶ月が経ちました・・・

震災で亡くなられた方、
この場をかりてご冥福をお祈りします。
被災された皆様、今後の復興を心から願っています。

またアトランタでの学会でも、
日本の被災地へのご挨拶がありました。
日本から来た研究者には拍手が送られました。
そして学会でも寄付金が呼びかけられました。
 

初めて行ったアトランタ。
アトランタを州都にもつジョージア州は
アメリカ最南端のフロリダ州のすぐ上に位置しています。
南部らしくボストンに比べ黒人の方が多い印象でした。
観光名所としては、オリンピックの開催地、
コカコーラ、CNNといったアトランタに本社を持つ
大企業の博物館のようなところ。
時間がとれなかったのでいけませんでしたが・・

自分の発表は最終日の最後のセッション。
自分のチームからは6人参加したものの、発表前に
皆早々に帰ってしまって1人しか残ってくれなかった
という寂しい有様でした。
が、全体としてはとても有意義でした!

今回の学会は50年の歴史をもつアメリカの由緒正しい二大心臓学会の
一つで、この世界では有名な人が勢ぞろい。
とはいえ、演台に立って発表をする人は必ずしも有名な人に限らず、
さらに有意義な研究に限らずで、無難でわかりやすい研究に収まっていた。

無難な発表ばかりで耳を半分だけ傾けていたのが大半なところで、
その学術的な雰囲気に囲まれて、自分のPCを開いて自分の仕事を
進めていたのが本当のところです。さくさく進んでよかった!

久々の学会ということで、
アメリカの料理を久しぶりに戴きました!
(写真3枚)

1.初日は、ホテルのレストランで大きなハンバーガー!
この隣にもサンドイッチが2つあって、
店員さんが比較的に痩せ型の僕を見て、
「全部食べるの・・?」と驚いていたほど。
アメリカ農務省のプレミア付き(?)の牛肉でした。
肉汁たっぷりでおいしかったです。

2・学会のレセプションは、生活習慣の大きく関わる
学会なだけあって、身体によいといわれているものがたくさん。
野菜と果物とお魚(お皿のはサーモンソテー)と、、、
お腹いっぱい戴きました。

そして最終日、ホテルで戴いたのが
キャットフィッシュ、つまりナマズのフィレオフィッシュ。
猫みたいに髭が生えていることが由来の名前でしょうね。
とっても柔らかく臭みもなく美味しかったです。
確認しなかったけれど、衣にケイジャンスパイスが
けっこう使われていました。
タルタルソースと一緒に戴きました。とっても美味!

一緒に食べたバッファローウィング(鶏の手羽先のピリから揚げ)は
ブルーチーズのソースで戴いて、これまた美味しかったです。
揚げ物にスパイスを加えるって美味しいですね。
ソースもいろいろ選べたよう。
こちらの食の楽しみ方に触れられたようで嬉しかったです。

とてもハイカロリーな数日・・頭もフル回転で
お腹も満たされ、充実した日々でございました。。

おしまい!
ちょっと帰国しました。
ちょっと帰国しました。
大変、ご無沙汰してしまいました。。
仕事は山積み・・という感じでせわしくしております。

先日、
ある日本の研究グループのシンポジウムに招待されました。
そのためにたった4日間の帰国・・。
自分の専門としている分野とは異なる分野の専門家が集う
機会となり、かなり勉強になりました。

旅費など、全部、主催者側もちだったのですが、
研究費の使用は細かな条件がかなり厳しく、
かなり行動が制限されてしまいました。

いろいろ交渉して「共同研究のための相談」という
名目を掲げて、なんとか某大学にも訪問する時間を戴きました。
いろいろ研究の意見などをシェア・・よかったです。
疫学は共同研究で成り立っているので、こうした繋がり重要なんです。


最終日、お開きになったのは深夜過ぎで、翌朝は5時に経つ予定
だったため、予約いただいていたホテルを丁重にお断りし、中途半端な
数時間をネットカフェで潰そうと思っていたのでした。

ところが、それを訪問先の教授に伝えたところ、
「いや!!危ないから!!」と一声。
「・・?!?!」という感じだったのですが、
最近、〇〇界隈はホームレスや、韓国や中国からの出稼ぎの方が多く、
やや風紀に乱れがあるとのことで、ネットカフェは感染病(結核)の
温床となっている懸念があるから問題になっていて、止めた方がよいと
強く止められました。

「せっかくはるばる来てもらって、犯罪やら感染などあっては困る!」
と言ったところで助手の方が、
「研究室に泊まっては?」と仰ってくださり、
結局、ご好意に甘えて教授の研究室で仕事をこなしながら
朝を待ちました。

そして、お礼とごあいさつを書き残して、空港へ・・

今回はかなり強行スケジュールで、もうクタクタ。
観光などのお楽しみの時間は一切なしでしたが、10時間を越える
飛行機の旅は浅い眠りであっという間・・
帰国した日は一度も目覚めずに、なんと17時間も寝続けてしまいました。
 
 
 
写真は、シンポジウムの懇親会で登場した方。。
三味線で民謡を奏でてくださいました。
海外からいらしたスウェーデン研究者も大喜び!

そして、渡米前夜の夕食の際の小料理屋の様子です。
さっぱりとした日本食と日本酒・・
とっても美味しかったです。
アナハ○ム小旅行☆
アナハ○ム小旅行☆
アナハ○ム小旅行☆
アナハ○ムでの学会の際、
日本の大学のグループにお会いして、
「お夕食でも一緒にどうですか」
とお誘いをうけて同行させて頂いた。

てっきり近所のレストランに歩いて行くのかと思ったら、
そのグループの気さくな教授は、レンタカーを借りており
それに乗せてもらえることとなった。
1時間半ほど遠くまでドライブ・・
ボ○トンで知り合った他の疫学研究者も一緒だったのだが
彼いわく、その前夜、午前2時まで一緒にお酒を飲んでいたそうで、
帰りが遅くなってしまうのと、飲酒運転するんかい?と、
心配で心配でならなかったが、結果的に、問題なしでした。

後で聞いたのだが、教授は、近所のカリフォルニア大学に
10年以上前に勤めていたことがあって、
懐かしさに浸りつつ、いろいろと紹介したかったよう。
カリフォルニアの富豪層が好むような一帯や
まだ開拓されていない一帯も多く、過ごしやすい気候で
ショッピングモールも多くて・・・こちらの土地で暮らすのも
憧れる人がいるのも納得できる感じ。
 
 
そしてたどり着いた先は、
Laguna Beachと呼ばれる海岸でした。
ちょうど夕日が沈む時間帯でとっても素敵でした。
デジカメでぱちり♪

海岸線には高級車がたくさん並んでいました。
リゾートホテルが近辺に多いのも納得。。

知らされずに連れられた海岸・・
「いったいどこへ・・・?」
と不安だったのも、感謝感謝に変わりました。
まだ大手のチェーン店などの影響が無いのか、
ローカルの小さく可愛いお店が多く立ち並んで
散歩するだけでも気持ちよかったです。
レストランの写真はありませんが、海岸が見渡せる場所へ。
白身魚のフライとコールスロー、フライドポテトを戴きましたよ。
レストランのポーチで戴いたのですが、日が沈んで、
少し肌寒くなったところに炎が焚かれ時間の流れを忘れそうに。

帰りは星空がとてもきれい・・良い小旅行でした。
僕を歓迎してくださった日本の研究室の皆様に感謝・・
  
 
 
2つ目、3つ目の写真は、
学会の最終日、フライトまで時間があったので、
ホテル近くのレストランで戴いたイタリアンです。

パブのカウンターで、PCを広げて、ビール飲みながら
仕事をしつつ、食事だなんて最高♪な気分でした。
最初は客がいなかったので、何の抵抗もありませんでしたが
夕方に差し掛かるに連れて人も増えてきてちょっと浮いたかな?
グアテマラに行ったときも、頻繁に1人でレストランに行き、
グアテマラの地元のビールを戴いたことを思い出します。
1人でレストラン・・また格別です!

食事は、クリームパスタにドライトマトがたくさん。
ほうれん草とゴートチーズ(山羊のチーズ)のサラダ。
ぺろりと美味しく戴いてしまいました。
カリフォルニアのビールは軽い感じで
飲みやすく美味しかったです。
ジョッキにしちゃえばよかったな!

大リーグの中継もやってて、アメリカ人が
観戦する雰囲気がちょっとわかりました。
こういうところもたまにはいいなと思います。
疫学の話はアナ○イムで
疫学の話はアナ○イムで
疫学の話はアナ○イムで
ボストンの学会の後、西海岸へ飛びました。
血管が詰まりそうな話ばかり聴いた後は、
特定の集団での病気の原因や分布に失神しそうな話ばかり。

ディズニーランドのあるその街に着くと
子供連れの親御さんたちがたくさん。
街路樹は南の国を思わせる背の高い木が。
風も気持ちよくてとてもよいところでした。
東海岸は曇り空ばかりだったのと対照的・・。

 
大きなホテルで行われた学会は
登録費用は高かったものの、それに相当するほど、
食べ物などたくさん出てきましたよ。

写真はポスター会場で、ボードにポスターを貼って
閲覧しつつ、貼った人と議論したりします。
いろいろ話をしてためになりました。
そしてそのまわりには、常にとはいわないけれど
果物、コーヒーやらお菓子が提供されます。

久しぶりにパパイヤ食べたなぁ。
黄色いスイカは、最初はパイナップルだと思ったので
ちょっとびっくりしました。
どれも美味しかった!


こうした学会に多く足を運んで、ある程度
その分野のことを知るようになると、人と人との
つながりや、個人的な好みで、発表者が決まったり
していることがわかる。

学会は複数のセッションが構成される形で成り立つ。
たとえば、
・発展途上国の循環器系疾患の疫学
・病院をベースとする感染病の疫学
・温暖化と疫学
・疫学の統計手法
などのテーマがあって、その中で演者が数人いたりする。
事前に用意されたそうしたテーマや、そのテーマに沿った
各セッションの議長の選り好みで、発表する人などが
決まっていると思う。
そういうテーマの枠に、自分の発表したいトピックが
収まらなければ発表する機会は得られない。

まったく論文を書いていなくても、医学の流行に
応じて、その都度、疫学的にコメントを残せる人は
毎年でも何かしら発表する機会を得ているようだ。
それほどの信頼を得る業績を過去に積んでいるからか。

今回、僕はポスターの発表だったけれど、ちょっと
突飛な内容だったのでよく機会を与えてもらったと思う。
あぁ、早く議長を務められるくらいになりたいものです。
 
 
今回、ある日本の方が発表する機会があったのだけど、
英語ができるのに、わざと日本語だらけのスライドを出して、
「心配しないでください。今、翻訳しますね。」
というような発表をしていた。
なぜこういうことをする必要があるのか解せない・・・

学会の発表などで冗談を言う人がいるが、
質疑応答の際に、自然に出てくるような
視聴者をニヤリとさせるようなものがいいな。
念入りに準備された冗談とかはがっかりする。

おしまい。
動○硬化の国際学会へ。。
動○硬化の国際学会へ。。
動○硬化の国際学会へ。。
動脈○化の国際学会が
地元のボス○ンで行われました。
有名な人たちが多く参加した学会・・
僕は循環器系の疫学を専門としているので参戦。


以前、栄養学、疫学の学会にも出たのだけど
それらの学会ではあまり日本人はいなかった。
それとは異なり、この動脈硬化の学会には
たくさんの日本人がいらしていた。
おそらく日本人の研究者が、昔からこの分野に
世界的な貢献をしてきていることと関連していると思う。
循環器系内科というと・・カワサキ病だとか
タコツボ型心筋症だとかは、日本語が
そのまま英語になっている疾患もある程だ。

名詞を渡したり、お辞儀をしたり・・という光景が多く見られた。
こうして書いてみると、堅っ苦しいネクタイ社会を
思い出させるかもしれないけれど、それとはちょっと違う。
国際的にも日本人の礼儀正しさが際立っているようで良かった。
卒業式のとき僕が学位を授与する際、ステージ上で
新調した革靴で音を立てて両足を揃えてお辞儀をしたのだが、
教授から大評判だった!
お国柄を表にし、きちんとするのは好まれると思う。

 
 
だが、今回日本人の英語がとっても@#$なばかりでびっくりした。
「(論文で)偉業を成し遂げているのだから・・」
ということで、英語力の低さが許容されている感じだ。
抑揚なくだらだらと原稿を読み、しかもスライドは見辛く
正直、同じ日本人ということで恥ずかしい思いさえした。
英語が達者のプレゼンターの場合は、快活な講演をし
その後の質疑応答の議論の機会も活発になるのだが、
日本人が話をした後は会場は重苦しい静寂に包まれてしまう。
ネイティブのように完璧じゃなくてもいいのだから、まだ若いんだし、
せめて最低限のマナーとしての言葉を伝えようとする意思くらい
持ってほしい。。。


多分、国際学会でも、日本では教授という肩書きが社会的な
権威を伴っているものだということが知られているように思う。
実際、医学部の内科の教授がわざわざ北半球の反対側に来て、
さらに母国語ではない英語でプレゼンをして、それに対して
英語で質問をして困らせようものなら・・非常識にとられるのであ~る。

 
自分も口頭で発表したのだが、よく知っている脂質代謝の
先生からは“Phenominal!” という評価を戴いた。
○脈硬化の学会で、疫学と栄養学両方の見地から、
ぐぐぃと入り込んだ感じだったから、客観的に見ても
他のプレゼンターとはまた違う手ごたえを得られたと思う。
5人くらいの方が質問してくれたお蔭で内容がより伝わった上に、
図らずも質疑応答のできる人間として評価されたみたい。。
、、、よかったよ。

僕は若手研究者の口頭発表のコンテストに応募しており、
実はAwardの候補者に挙がっていた。
しかし、僕の口頭発表は最終日の最後のセッションで、
なんとAwardの受賞者は、その前に掲示板に発表されていたのだった!
学会の表彰なんかはそんなもんなんだと思う。
  
  
日本の医学部の先生方というと、臨床もして研究もして
教育にも携わって、委員会なども多いそうで大変だと思う。
こうして遙々アメリカの学会に来ているというのだから。。
おつかれさまでした。
 
 
写真・・とっても立派なメイン会場。
自分の口頭発表はもうだいぶ小さな部屋でした。
自分の発表前、舞台の下にねずみが駆け込んで
ちょっとびっくり。

2枚目、3枚目の写真は、学会会場近くの様子です。
レトロな建物、モダンな建物が共存している街並み。
きれいなところです。

そして、受賞・・
そして、受賞・・
卒業と同時に表彰されました。

「やったぁ~♪」

というよりも、

「・・・そうか」

と、静かに受け止めた感じです。

 
自分の所属した機関のみならず日本でもそうだけど、
学歴や経験の為のてっとり早い手段として論文を
書く人が数多くいる、、、どんな分野でもいえるかな。
とにかく、医学研究はまるでスピードゲームのよう。

韓国の獣医学者・大阪の大学院生が、基礎研究で
データを捏造したのが思い出される。
残念なことに、多くの論文が本当に必要な論文か
というとそうではないと思う。
今後、実名で紹介できたらと思っているのだけど、
最近のメタボリックシンドロームに関する報道で、
原著論文は問題が多いのだが、アピールだけは
ご立派なものがあった。
愕然として、その夜はあまり眠れなかった。
  
 
個人的に、公に出す論文には、公に対する責任があると考えており
自分のための、報道目的の論文の執筆はしたくなくて、
本当に論文を書けるだけの知識・経験が蓄積して
本当に世の中に貢献するための論文を書きたいと思っている。
そのためにはかなりの学と業を修めることが必要で、
時間をかけることができるのは、学生の時間だけであり
今まではそれだけに集中し、費やせたと思う。

自分より早く卒業した人もいるし、自分より多く論文を書いた人もいるが
誰よりも、自分の方が知識はあると思える場面が多かったし、
自分だったら、もっと論文の内容を充実させると思ったりもした。
  
  
しかし、スピード勝負のこの医学界をどう考えるかは個人の勝手で、
けっきょくは、業績を積み重ねるのは個人のキャリアで今後に生きる。
論文に欠損があったとしても、後の論文で塗り替えればよい。。
そんな風に、要領が良ければ、過去の業績を取り繕い、、人々の評価や
認識を塗り替えていくことが幾らでもことが可能なのだ。。
要するに、、そういう事を自分の中で許せるか、許せないかの問題。。

一人前のつもりで、高い志と理想を自分に課して
くすぶっているのも、、、愚かなことかも。。。

そんな中で、時間を掛けて生み出した論文が高い評価を受けた。
しかし、「がんばりましたね」という言葉をいただいて
率直に嬉しかったものの、かといってとりわけ特別な気持ちには
ならなかった・・
   
  
自分の突き詰めんとする考え方の存在と内容を理解したのは
おそらく、自分と仕事をした教授3人だけだろう。
とはいえ、今回の表彰は、その地道な考えがあってこそ。
客観的に、自分の成したことが評価されたということ。。

 
卒業式の3日後くらいに、自分が講演する機会が得られた。
卒業式の時点で、そんな講演の準備もまったくできておらず
H大でやっている仕事と、全然、関係なかったため、
講演というと、申し訳ないが、どちらかというとやっつけ仕事。
どれほどメッセージが伝わったかわからないけれど、
それなりの評価を得ることができてよかった。


そうそう・・
たとえば、ノーベル賞というと、ノーベル氏の志を継ぐものであるが
今回のAwardにも、そうした名前がついている。I〇Rとイニシャルで書く。
I〇R Awardということ。

実は、Dr I〇Rは、先日書いた卒業時の日記の、
3つ目の写真の左側の方である。
彼は、僕が所属した大学院大学の前学長、そして
研究施設のディレクターで、その道のとても有名な人なのだ。

実は僕はボ○トンに来る前は1年間NYのC大で勉強していたのだけど、
ボ○トン行きがが決定した直後、偶然にもDr I〇RはNYの僕が所属して
いる機関で講演を行った。

その講演は、それまで聴いた中でも、抜群に素晴らしいものだった。
ビタミンB郡について生物化学・栄養学・疫学・公衆衛生を
最新の知識でもって、全てつなぎあわせるような内容で。

それにはとても感銘を受けた。
そして、彼の指揮する研究機関に所属することができ、
その5年半後、博士を取り、彼の名を冠した賞の受賞にまで至った。
 
彼とは卒業時にも話をし、さらに僕の講演後も
30分くらい立ち話することができた。
今後の僕の研究やキャリアにも関心を
持ってくださりとても嬉しかった。
 
感慨深いものです。

おしまい
卒業・・
卒業・・
卒業・・
せわしくしております。
久しぶりに更新・・
タイトル、日本の方からしたらまったく季節外れかしら?
 
 
先月になりますが無事に卒業しました。

オバマ大統領(1つ目の写真・)は来なかったけれど、
マ○チューセッツ初の黒人知事であるDeval Patrick, JD
(写真の2つ目)がいらっしゃいました。
http://en.wikipedia.org/wiki/Deval_Patrick
JDとは、Juris Doctorという法学博士に与えられる称号です。
博士号取得者として、知事をされるとはすばらしいです。

彼がお話したことのほとんどは忘れてしまいましたが、
1つは
「理想主義と現実主義」
とは、相反するものではないということです。
「理想に対して、現実的なアプローチをとりなさい」
ということを、学生に伝えておいででした。

3つ目の写真はいつのまにか知人に撮られていた
自分の写った写真・・右側にいるのが自分です。

アメリカの卒業式では教授と卒業生がガウンをまとう。
教授が着るのは教授が学位を取得した学校のガウン。。
それぞれの誇りが感じられるようで本当に感慨深いです。
3つ目の写真の左側の教授は、H大で博士を取られたので
その大学のカラーであるクリムゾンのガウンを着ておいでです。

ちなみに、こんな人も着ています。
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080126/trd0801260919002-n1.htm
(産経のニュースより)
この人の写真を3枚目にしようと思ったが、あまりにも下衆なのでやめた。
  
  
そんな卒業式の次の日は、
H大の研究グループでのミーティングがあったので
あんまり卒業気分に浸ることもなく。。

またのニュース、ご期待あれ!

専門家の集うフォーラム
専門家の集うフォーラム
専門家の集うフォーラム
循環器系疾患に関する専門的なフォーラムが月に1度行われる。

アルコールやココア、アーモンド、カフェインや脂肪たっぷりの
食品など日ごろから手の届く範囲に手を伸ばしたくなるものなどの
多くの品々が循環器系疾患の発症、血圧、血中コレステロール、
血糖などに関係していることが数十年前からわかってきており、
研究成果が蓄積されている。

またストレスや運動、乳児・嬰児の頃の環境、社会環境などまで
そういったことに関わっていることがわかってきており、さらには、
そういった関係を研究する方法論まで発展してきている。

同じ循環器系疾患を疫学的に検討するにしても、近年の多様性から
あまりにも多くのトピックがあり、個人のみで知識を積んで専門性を
うたうのは大変だ。
ということで、循環器系疾患に絞った、専門家集団により小さな
シンポジウムが開催される。

画像はそんなシンポジウムでの一枚・・
開催側の専門家の一人がアルコールの疫学で、多くの研究を
行った方ということでワインとチョコレートが振舞われるのである。

マサチュー○ッツ州では、
レストランなどを除く公共の場で、お酒を振舞う際には警備の配置が
義務付けられているのだけれど、このシンポジウムでの飲酒は、
Wine Tasting(試飲)という扱いのため、警備が必要ないらしい。
なんのこっちゃ。

ちなみに振舞われたチョコレートは、チョコレートの血圧を下げる効果を
臨床医学的に検証した研究に、実際に使用されたチョコレートが振舞われた。
医学論文の内容とともに、血圧を下げる薬よりも、
味も香りも良いということで紹介された。
ユーモアに富んだシンポジウムである・・。

今回のシンポジウムはアジア・オセアニア地域の循環器系疾患の話し
ということで、ためになれば・・と思っていったのだけど、講演者が
イギリス人の統計学者(おそらくオーストラリアとつながっている)で
まったく東南アジアや東アジア特有の因子に触れることは無かった。
・・・残念。

循環器系疾患の発症率を上げる主要な因子は喫煙なのだけど
他のアジア諸国に比べて日本人の喫煙率は高いみたいだが、
おそらく、JTの力と、自動販売機が貢献しているのだろうと思う。
その辺は、中国出身で教授の疫学者がフォローしてくださった。

あまりでしゃばりはしなかったが、日本の食生活などは
誰もが「違う」ということはわかっても、具体的なところことは
あまり知らないようだ・・。
何らかの機会に、彼らの知見に貢献できたらとは思います。
日本のデータがあれば一番、いいのだけどね。

 
中国人の研究者は本当に多くて、中国の研究機関と
H大の研究者と共同でプロジェクトが進んでいるようだ。
(その一端が別のセミナーで紹介された。)

考えてみれば、中国の人口は13億人で日本は1億3千万。
中国人研究者と日本人研究者の比が10対1くらいなのは
当然のことなのかしら?
 
 
公衆衛生関係の記事:
ホクロ取りでの危害-エステや自己処理でやけどや傷-
http://www.kokusen.go.jp/news/data/n-20090409_1.html

こういう医療行為も、臨床試験を行って安全性が確認されたものでないと
いけない・・と考えるのが医療従事者にとっては当然であるはず。

厚生労働省の認可の有無などは、保険が下りるか下りないか・・、
などの議論になるのだけど、そもそも効果の無いもの、
安全性が確立されておらずに実施されている医療行為などは野放し状態か。
お役人さんもお忙しいかとは思いますが、、、
 

 
2つ目の画像は4月2日の、とある機会の懇親会・・。
内容的に興味がなかったので、美味しいものを頂戴してすぐに退室
3つ目の画像は4月8日のデスク・・ちょっと雑然としてきました?
ディスプレイの隣にオフィスの電話が備えられています。
本も論文も山積み。。。
フォーラムであまったワインのボトルを戴いており、
置きっぱなしです。
そろそろ1ヶ月
そろそろ1ヶ月
そろそろ1ヶ月
事務処理はそこそこ終了、、
ようやく、研究する環境が落ち着いてきました。
(研究する内容などは手探り状態)

古いパソコンをアップグレードするよりも
新しいパソコンを購入した方が、コストと、
パフォーマンスを考えると良いだろうというボスの考えから、
いくつかPC本体とモニターが余っている・・
勿体無いおばけが出るぞ!
だいたい、最新のPCを買って高いパフォーマンスが要求されるほどの
仕事をまわりの人たちがやっているかというとそうは思えない。


あまり意見を言う立場でもないので、言われるがままに
一番新しめのデスクトップPCを使わせてもらえることとなった。
モニターが余っているので、デュアルディスプレイにさせてもらった。
そして、新しいラップトップがオーダーされるという・・。
  
  
実は、これまで使ってきた統計のソフトウェアは
使うことができないという事態を迎え進展は思わしくない。

そんなこんなで、先週、3度目のグループミーティングを迎えた。
前2回より、緊張した気持ちを感じていたのだけど、
それは最初の2回は、何も公開することも無く参加していただけだったが、
今回は、自分の行う研究のアイデアの公表をするつもりだったのだ。
(つもりだった・・というのは、そうした発表は全員、
自発的に行うからである。自主的に・・という意味で。
誰もが自発的に発表していると、わりとプレッシャーがかかる。)

疫学は、臨床医学と、一線を画している要素もある。
グループミーティングは医師・疫学の学生・疫学の学生・疫学博士が
混在しているため、自分が疫学のマニアックな話をするのもどうかと感じ、
どうなるやら・・・?と思っていたが、ボスが説明などをうまくサポートしてくれた。
 
・・というと、自分が説明が下手だったようだけど、多分そうではなく、
僕の説明に加えて、ボスがご自身の口から説明する。
どうやら、自分の言葉で説明することを常としているようだ。
そう感じるのは、なぜなら、皆に説明するときに、僕の方にたまに顔を向け、
「そうだろう?Bow。間違っていたら正してくれ。」
と、説明の同意を求めるから。

僕の説明に続いて、彼は全員に同じ主旨の話をするのだが、
それは内容を消化して、彼のそれまでの知識(論文など)と
照らし合わせて練りだされた内容となっているように思う。それがすごい。
そしてそのプロセスと説明が気持ちよいほど速くて、そして表現が的確なのだ。
僕の疫学手法の1つは、心理学分野で使われている手法を
拝借したものもあるのだけど、そんなことも一瞬で理解してしまったようだった。

彼はH大の教授のキャリアをこれから踏んでいくという有望株・・
その片鱗を見させていただきました・・という感じです。
彼は人の話をふんふんと聴いては、自分のものにしてきた・・という感じかな?
グループミーティングをしていて気がついたのだけど
種々の循環器系疾患の発症率などの数字を覚えているようだ。
他にも食事と疾患の因子がどれほどか・・など量的なことが頭に残っているよう。
きっと覚えようとして覚えたのではないんだろうな。。
 
学生やポスドクはいまいちピンと来ない。
まだ粗があるというか。。自分も含め。
なんとかがんばらなくてはね・・
 
画像は自分のデスク・・嬉しいな、デュアルディスプレイ。
さっぱりときれいなデスク・・散らからないようにしなくてはね。
コンピューターはLenovo(IBM)のThinkCenter。
Lenovoはマーケティングに優れているのか、
H大のサーバーやネットワークシステムはLenovoが占めている。
ラップトップを購入するときも、Lenovoでないとサポートが利かなく不便になるよう。
なんて独占状態・・一応、Macもサポートされているらしいが。

他の2つの画像はウェブで拾ったキャンパス関連のものです。
もっとアップしたいな。

お酒を飲む
久し振りに友人と会って、
お酒を飲みました。

友人の一人とは、
とある科学系のメーリングリスト経由で
2004年の学会で会って以来でした。

免疫学を専攻して、あれから北米で博士を取得・・
免疫学の生化学というと、とても競争率が高い世界なので
研究者として、有望視されていたと思いきや、
コンサルティング会社に就職を決めた方です。

やはり生命科学系の企業の合併やマーケティングなどには
専門知識が必要みたい。
こちらの企業は、博士をどんどん高給で採用する土壌が
しっかりしているから、やっぱりそういった
企業のコンサルティングとなると、当然かもしれない。
彼のオフィスには、僕がたびたび引用するような、
医学論文を載せた学術雑誌もあるそうだ。

コンサルティング会社でも科学者を積極的に雇うというのは
日米の違いの1つかと思う。

去年の春、モーガンス○ンレー、マッ○ンゼー、
リーマンブラザーズなど大手のコンサルティング会社の就職活動を行い、
最終面接まで行ったらしい。
それで落とされたとのこと。
リーマンブラザーズの破綻は笑いのネタ。
そういった大手の面接に出向いた就職希望者は、
ハー○ードやマサチュー○ッツ工科大学のビジネススクールを
出た人ばっかりだそうだ。

循環器系の疫学の世界の2トップに志願している自分は、
もっと図太く考えなくてはならないのではと思った。
大体、たくさんの人がアプライしていることだろう・・。
僕の方が疫学とその統計術に誰よりも詳しい自信はあるが。 
 
 
老舗のバーで飲んだお酒と、あえて選んだ脂っこい食べ物、
アメリカならではのハンバーガーは美味しかったです!

画像は僕らが行ったお店のビールのサンプラー。
ウェブで拾いました。
Doctorate
Doctorate
Doctorate
Job Interviewや卒業のための事務手続きなどで奔走して
日記を書く時間がありませんでした。

先週、博士論文の審査、
(Thesis Defense、Viva)無事に終わりました!
無事、博士号取得です。
   
  
   
博士課程には2つの段階がある。
前半が、コースワークの2年間。
Comprehensive Exam、あるいはQualify Examという
口答試験・筆記試験(研究のプロポーザル)を行った後、
後半は、研究生活を・・研究が終わるまで、、、となる。
(・・・因みに自分の専門は循環器系疾患・糖尿病)

僕はその前半では、学校が開催するセミナーには
授業も休むことなく参加し、セミナーも今の3倍は行って、
さらに積極的に発言し、違う研究室のミーティングに出たりと
けっこうアクティブに動いていた。
しかし、後半に入ってからは、話をする場面といったら、
教授と研究について話をするくらいのこと。

 
その変化の訳はというと、、自分の勉強する学問に対して、
なんだか愚かさを感じたからである。

食物の摂取と病気の発症率とを結びつける学問は、
その摂取に於ける数値化、発症率の計算に伴って複雑な統計学が
要求されるのだけれども、今ではそんな複雑な計算も、
コンピューターのおかげで数行のプログラムを書けば誰でも簡単に、
結果を導けてしまう状況だ。

そんなだから、データさえあれば
簡単に研究できてしまうし、結果を出せてしまう。

博士課程に籍を置いて見てきた
多くの学生・研究者の疫学研究の成果は
「あなたじゃなくてもできる」
という内容のものばかりであることに気づいた。

学生Xは、栄養素A と 病気B の関係・・
学生Yは、栄養素C と 病気D の関係・・
学生Zは、栄養素E と 病気F の関係・・・

そんな、研究ばかりで卒業していってしまう。
それはハー○ード大学でも同じことだ。
彼らはデータの量が1桁大きいだけで、
稀な疾患でも結果を出せるようにしているだけで
やっていることはあまり変わらない。
(もちろん、そうした研究は意義はあるのだけど)

博士課程の前半を終え、
Qualify Examでの勉強をこなしているうちに
「これはつまらない」と感じるようになった。

うちの学科にいては、自分も
「これまで勉強を頑張ってきたから、機会を与えてあげます」
と言わんばかりに
「誰でもできる研究」
を与えられ、それに従事するだけなので
なんとか、打開策を生まなければ・・と考え、近くのボス○ン大学の
疫学・統計学のプログラムの講義を受講した。
栄養関係の研究はしていないのだが、理論的な研究は強いのである。
(Modern Epidemiologyという、疫学の世界で最も難解とされる本があるのだけど、
ボス○ン大学の疫学者がメインで執筆している。)
生活習慣に関する疫学研究に、学んだことを結びつけるのは
自分の力が要求されるところで、おかげで研究は遅々としたものの、
なんとか、方法論にメスを入れるような研究論文が仕上がった。
その過程で、勉強に励んでいると、だんだん内に篭るようになった。
セミナーとか耳にしても、どっかの論文で読めることばかりだし。
申し訳ないが、行かなければならないセミナーに足を運んだ程度。
 
博士論文の発表は、自分のボスからは
「過去の全ての発表と比べてもBest」と大絶賛を受けた。
(過去の多くの学生は、プレゼンが上手じゃないケースが多く、あまり驚かない。)
前学長にも聴いていただいて、賛辞を受け、好評だった。
(前学長は、大学の学長ではなく、大学に所属するSchoolの前学長です。)
ところが、問題が潜んでいるのに盲目的に統計のプログラムを走らせている
多くの疫学者・学生にこそ聴いてほしいと思っていたのだけど、
ミーティングが重なっていただとか、何らかの理由を述べられ、
聴いてもらえず、それが適わなかった。
  
 
自分との研究談義で、議論を交わす、
疫学の教授、統計学の教授は、普段のセミナーでは寡黙だ。
たぶん、自分の感じるように、「あーぁ」っていうのも感じているんだと思う。
この博士課程で、過去数十年の統計学者や理論疫学者のジレンマを
少しでも感じることができたことは良かったと思う。
自分の博士号は、Doctor of Philosophy というんだけど、
Philosophy の要素はそうした感覚を得たことにあるかなと。
 
 
勉強に打ち込んだだけに、時間かかったし、
その分、研究の生産性は低いし、今の段階で、
世間から評価を受けなければならないのだけど
ちょっとまだ、分が悪い感じだ。
これからがんばらないと。
 
インタビューは結果待ちです!
たぶん、教授に推薦状の依頼が、
先方から直接行っているのだと思います。 
教授・・・推薦状、お願いします^^
疫学博士へ! (秘密に追記あり)
いよいよ博士課程の終幕が間近となった様だ。
来年1月第2週に、博士論文の審査がある。
学生生活もあとわずか、、アメリカの場合は
9月から次の年の8月までというサイクルだから、
4月~8月までの空白の期間があったものの、
学部から考えると約10年の学生生活か・・。

2002年、僕は日本の大学では化学科を卒業して、
その年の夏にニューヨークののコロン〇ア大の
医学部に入学する為にアメリカにやってきた。
DNを始めたのもこの年、、何か記すものをと
思い立って同時に始めたのだったな。
その後、コロン〇ア大で修士を修め、
ボストンに移ってきて今に至る。。
 
 
以前は博士というと、専門の領域にまっしぐら!
という印象を抱いていて、応用が利かない、
視野が狭いなどの心配があったが、、
疫学という、社会の実際と科学とを結びつける
医学の領域を選んだおかげもあって、
典型的な専門バカ、、、にはならずにすんだかな!?
  
博士をとったら、更なるキャリアを積まねばならぬ。   
ということで、研究を進める傍ら、ちまちまと
履歴書などを出していました。
そしてその中から、英国のケン○リッジ大学と、
米国ハー○ード大学の教授からメールを戴きました。

ところで今、僕が研究で使わせてもらっているデータは
300人規模のものが1つと、3000人規模のものが1つ。
どちらも有力な雑誌に公開された論文を産出している。
300人規模のものは小さいながらも、特異的で
質の良いデータが揃っており、3000人規模のものは、
疫学者なら誰もが知るフラ〇ンガム研究と呼ばれる。
世の中には数万人規模で10年以上追跡しているものもある。
ヨーロッパ各国の有力な大学の共同研究は10万人を超える。
ハー○ード大学も数万人規模で追跡年数20年の研究をもつ。
そこで力試しとでも言おうか、僕はまずそうした
ジャイアントな研究を行っているグループに目を向け
公募があればアクセスしていたのだ。
 
 
そんな中、前出のイギリスのケン○リッジ大学から
連絡を戴いた。
光栄にも、電話でのインタビューの機会を与えて下さった。
研究施設は、ヨーロッパの10万人規模の研究の1つの拠点。
そう、言わずと知れた数百年の歴史を持つ大学、ケン○リッジ大学。
インタビューだけでも嬉しい機会、、、
教授は、それはもうとても多忙な方なんだろうと思う。
その方が書いた論文に目を通しておこう。。


僕は学生として、何か表彰されたわけでもなく、
論文の数も全然無いし、自分のしている研究を除いて、
今のところ、特にアピールできることなど無いのだが・・。
おそらくは、自分の所属する研究機関、または、
僕を学生として持って下さっている教授の名声のお蔭だろう。
知る人ぞ知る人だから。そんな風には見えないけど。


もう1つの方。。。ハー○ード大学の方からは、
先日、自分が仕事をさせてもらっている教授の元に
メールが届き、僕に転送して頂いた。
僕の知らないところで、推薦してくださったよう。
メールをくれたハー○ード大教授は、数年前、
僕の所属する大学院で循環器系疾患の疫学の講義をし、
その講義を受講した僕のことを覚えていてくださったのだ。
僕の教授が転送してくださったメールに、、、
「興味があったら履歴書などを送ってくれ」
とあったので、先月その通りに手配した。
履歴書と手紙は、私企業にオンラインでオーダーして、
かなり上質な紙を使ったプリントアウトにした。
そして今日、僕の元にメールが届き、
「今度、興味ある研究のディスカッションしようか」
とのことだった。教授は現在は出張中で、どっかの
臨床試験の監督かなにかをされているよう。

大体、就職の出だしとなると
インタビュー(面接)をするものだと思うが
‘ディスカッション’
という表現をしてもらえたのはとっても嬉しい。
話をする機会を与えてくださるだけでも光栄なのに。
循環器系疾患は、アメリカで死因トップの病気、、
その疫学を、ハー○ードで指揮しているのだから
そこで研究の機会を得ることができたら、
この上なく栄誉なことだろう。

因みに、彼の講義では受講者がプレゼンする機会が
あったのだけど、僕が選んだトピックは「性行為と心不全」
というものだった。
もしかしたら、それが印象的で覚えて下さってるのかも?(笑)

文章を扱う・・
昔、同時通訳の人の仕事ぶりを紹介する
ドキュメンタリーがやっていた。
国連関係の会議の中で、
適確に話を把握して多言語に同時に翻訳する。。。
鍛錬されているのだろう。

その男性のご一家にカメラが入り込む。
一家団欒の様子が映し出されるのだけど、
その男性は、まったく会話が適当なのだ。
子供との会話、奥さんとの会話。。。
家族は、口をそろえて、
「同時通訳しているだなんて信じられない」
と言う。

意識の向けようで差が出る・・。

 
 
 
先日、学術的な交流を目的として、
講演とパネルディスカッションを兼ねた会の司会を行った。
講演は良いのだけど、パネルディスカッションでは、
議論・質問の内容を理解して、適当に分解して、パネリストに問いかけたりする。
パネリスト1人1人に話をしてもらうため。
けっこう神経を使うもので、良い経験になった。

また、その機会では急遽、スポンサーの宣伝が入り、
スポンサーの方は話をすることを遠慮したので、
自分がその宣伝を行うこととなった。
宣伝内容をポイントだけ理解して
その内容を来て頂いた方に説明する。
 
 
頭でしっかり考えて、言葉にする・・。
できる・・。司会の運び方は賛辞も頂戴したし。。

 
 
東大の科学者で、
「理科系の作文技術」
という本を執筆された木下是雄氏は、その本の中で、
「科学者は解り易い文章を書くだけではなく、
紛れも無い文章を書かなくてはならない」
と述べている。
http://www.amazon.co.jp/dp/4121006240 この本、、、
1981年に発刊されたものだが、高い評価。)

理解し易くするのは当然で、
どちらともとれるような、そんな文章は書いてはならない
と・・そう言っているんだ。

主語を省いても文章が成り立ってしまう日本語・・
そんな日本の文章が誤解を生んでしまう例が、
この本にはあったな・・・確か、次のような例:

「AとBとは化学的に反応します。」

という文章・・・
1.Xという物質があって、
そのXがAとBとそれぞれと反応すると言っているのか、
2.AとBとがお互いに反応し合うのか・・・

話し手の頭の中に、「Xについて」というテーマがあっても、
もしも、聴き手にそのテーマが無かったら、
変な誤解を生むことになるんだ。

 
 
「延期させて頂いてもよろしいですか?」
 
 
1.私がお願いしたことなのに、申し訳ないのですが、、、
2.〇〇様と私で、先ほど決定した件ですが、、、
3.〇〇様が私に依頼なされた件ですが、、、

前置きをどう付けるかで、全く意味が変わってくる。。。
話し手と聴き手で状況が明白だとしても、
気配りとして、絶対に前置きを付して、
内容を明確にしなくてはいけないところだ。
 
作文のような機会を除いて
こんな風に日本語を意識したこと無かったか。。。今更だが。
愚かで・・・無礼な事をどれだけ言ってきただろう。
しかも、自分はそれになかなか気付かないんだ。
「もう1度、話す機会がほしい」
そんな風に思うことがたくさんある。
科学英語など・・なんか解り易い機会でしか意識が向いていない。
自分はそんな奴だ。

そういったことに意識を向かわせろ。
国連の会議での同時通訳者が持つ意識のスイッチ・・
常にオンにしておかなくては・・

っていうか、常識の範囲の配慮では
常にオンなのが当然なのだろうが、
自分はそうじゃない・・適当過ぎるにも程があるぞ。

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Bow

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