たとえば、

「レイプについての講義を行いたいのですが、
みなさんの中に体験してしまった人がいるかもしれません。
よって講義は行いません。」

っていう教育もあってもいいのかな。
本当に被害者のことを考えるべき教育だったら
それで打ち切ってしまってもいいのではと思った。

昔、人口妊娠中絶に関する倫理の講義があったが、
その2年後くらいにその女の子が
高校時代にレイプされて中絶を行ったという経験を
直接、教えてくれた。
(彼女は嘘は言わないタイプ。それはわかる。)
そのときレイプされたって教えてくれたとき、
そのときから2年前に中絶の講義を
いっしょに受けたっていうことは思い出せなかった。

今になってなぜかそれを思い出した。
彼女、講義を受けていたとき、
どんな思いをしていたのだろう。

倫理の講義は大切だと思う。
いつ自分や家族が事故や犯罪にあって
複雑な医療に関わったり、
自分の判断で生命に関わる決断をくだす状況に陥るかわからない。

そして、そっか、、、
それと同時に机上の話で普段すませてしまっている話が
まさか身の回りの友だちが抱える問題なのかもしれない。
身の回りの友だちが、問題を誰にも言えずに、
抑え込んでいるかもしれない。

彼女、レイプを受けたっていう事実だけが悲惨なんではない。
誰にも言えないままで、実際に体験していない人が
偉そうに議論している場面に巻き込まれたりするかもしれない。
そういうとき、どんな気持ちになるんだろう。

−−−
ちょっと似ているのだけど、まるで違う話を思い出した。
昔、僕に好きだって言ってくれた女の子がいた。
それは電話によってだった。
何か気持ちが抑えられないっていう気持ちが
すごい強く伝わったのは覚えてる。

それとは別の場面で、
適当な男女で集まったのだけど、
「告白するとき、電話は勘弁してほしいよね」
っていうことを言っていた。

そういうとき、もしもその中に、
電話で思いを伝えたことのある人はどう思うのかな?
自分のことを棚にあげて会話に参加するのかな。
僕はその場面でさえ複雑に思ってしまった。

きっと、、、
もっと倫理的に重い問題で
思いを隠してしまっている人には
強烈に場面がのしかかることもあると思う。

−−−

なんで中絶したっていうことをあの子は、
僕に教えてくれたのだろう。
何か期待していてくれたのかな。
僕はその期待に応えられたのかな。

元気でいてくれているといいのだけど。。。

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Bow

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