回顧談
2003年1月23日 ●Boston●日常徒然寒い。。。ビルの谷間を強い風が吹き抜けるのだけど、
それがなんといっても寒い。
灰色のビル郡の印象も引き立て役。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
今の修士のプログラムは年齢層が厚い。
学士は当然の学位だから、今年24歳の連中が最年少かな。
おばさん、おじさんもいる。。。
女性が多いのだけど、仲の良い人で年齢を告げてくれた人でも、
25歳が最低だった。
アメリカの医学部は、学士がないと入れない。
MBAは、仕事の経験が尊重されるし、
Master of Public Healthもその類。
Ph.Dでも研究職を経て、、、という人も普通。
日本とは、大学院の捉え方が違う。学士の延長ではない。
あくまで、プロフェッショナルという感じ。
、、、
僕は、日本の大学に現役で入り、留年などなく、
アメリカの大学院へも苦労したけど、
見かけ上すんなり入っている。
そして、最近は博士課程のことを考えている。
やはり医学分野。
なんか、自分がすごく、、、
急いで将来のことを考えているように思う。
もっと余裕を持ちたいのが本音。
ボランティアとかでも、社会経験を積むのもいいのだが。
それは選択肢外にはじいてしまう。なんだか怖くて。
「学際性」とか言ってるけど、
余裕ないと失っていくよな。きっと。
日本人の気質だと思う。
というのは、日本の大学院に進んだ友だちは、
最近は就職活動の真っ最中。
数々エントリーして、断られ凹んでいるという。
面接まで進んでも、技術職で枠が少ないのか、
落とされてしまうとのこと。
みんな、進路については必死なんだ。。。
気持ちがすごいわかる。
それが当然のように思っている。実際。
高校の数学で、連続or不連続っていう話があるけれど、
人生こそ連続であるべきだと思う。
過去がよい具合に先々に繋がっていく。
後悔と思ったことでも、未来にうまく繋げれば、
そのロスは解消されるというよりも、良い踏み台になる。
今まで、うまくつなげてきたと思うな。。。
抽象的な精神であり、人格、、、などは、主に、
サッカー部での経験でつくってきた。
でも具体的な進路や考える内容は、
英語がきっかけ。。。
高校の1年のときから5年間、英会話に通った(週1)。
もともとは理系が得意だったけれど、
それに英語が加わることになり、
受験でも大学生活でも、かなりの武器になってくれた。
英会話に通ったおかげで、留学という言葉も遠くなかった。
理系で、英語を生かしたい。そう思うようになった。そして、
1、理系は大学院から勝負
2、英語ができる。
3、大学院から留学
4、留学するなら日本の弱い分野でないと意味がない。
5、総合大学出だし、学際領域。日本の専門教育はこれに弱そう。
6、テクノロジーよりも、社会貢献(国連、NGOがらみ)
7、衛生分野がいいかな。
というステップを踏んで、今の専攻に至る。
英会話のおかげ。本当に。
(サッカーを通じて得た、気質もあるが)
しかも、予備校と違って、
違う学校の人、違う年齢層の人、社会人、、、
様々な人が、それぞれの目的をもって集まっていた。
励ましあいながら、刺激を受けて、
留学だとか、将来のことを考えるようになった。
そういう機会が、繋がって繋がって今がある。
英会話はもう、こっちきた時点で、
当然の能力とされてしまったけれど、
こっちに来れたこと自体、
そしてバングラデシュでの経験などが
今後に繋がっていくんだと思う。
なんか、そういう連続性が保たれているうちは、
将来のことを真剣に考えていたいなと思ってみた。
思い詰められるだけ、考える事があるっていうのは、
良い状況なのかもしれないな。
一晩たって思ったけど、
火縄銃って表現があって、馬鹿にしてるようにとれた。
よって変えました。
でもそんなつもりないです。
それがなんといっても寒い。
灰色のビル郡の印象も引き立て役。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
今の修士のプログラムは年齢層が厚い。
学士は当然の学位だから、今年24歳の連中が最年少かな。
おばさん、おじさんもいる。。。
女性が多いのだけど、仲の良い人で年齢を告げてくれた人でも、
25歳が最低だった。
アメリカの医学部は、学士がないと入れない。
MBAは、仕事の経験が尊重されるし、
Master of Public Healthもその類。
Ph.Dでも研究職を経て、、、という人も普通。
日本とは、大学院の捉え方が違う。学士の延長ではない。
あくまで、プロフェッショナルという感じ。
、、、
僕は、日本の大学に現役で入り、留年などなく、
アメリカの大学院へも苦労したけど、
見かけ上すんなり入っている。
そして、最近は博士課程のことを考えている。
やはり医学分野。
なんか、自分がすごく、、、
急いで将来のことを考えているように思う。
もっと余裕を持ちたいのが本音。
ボランティアとかでも、社会経験を積むのもいいのだが。
それは選択肢外にはじいてしまう。なんだか怖くて。
「学際性」とか言ってるけど、
余裕ないと失っていくよな。きっと。
日本人の気質だと思う。
というのは、日本の大学院に進んだ友だちは、
最近は就職活動の真っ最中。
数々エントリーして、断られ凹んでいるという。
面接まで進んでも、技術職で枠が少ないのか、
落とされてしまうとのこと。
みんな、進路については必死なんだ。。。
気持ちがすごいわかる。
それが当然のように思っている。実際。
高校の数学で、連続or不連続っていう話があるけれど、
人生こそ連続であるべきだと思う。
過去がよい具合に先々に繋がっていく。
後悔と思ったことでも、未来にうまく繋げれば、
そのロスは解消されるというよりも、良い踏み台になる。
今まで、うまくつなげてきたと思うな。。。
抽象的な精神であり、人格、、、などは、主に、
サッカー部での経験でつくってきた。
でも具体的な進路や考える内容は、
英語がきっかけ。。。
高校の1年のときから5年間、英会話に通った(週1)。
もともとは理系が得意だったけれど、
それに英語が加わることになり、
受験でも大学生活でも、かなりの武器になってくれた。
英会話に通ったおかげで、留学という言葉も遠くなかった。
理系で、英語を生かしたい。そう思うようになった。そして、
1、理系は大学院から勝負
2、英語ができる。
3、大学院から留学
4、留学するなら日本の弱い分野でないと意味がない。
5、総合大学出だし、学際領域。日本の専門教育はこれに弱そう。
6、テクノロジーよりも、社会貢献(国連、NGOがらみ)
7、衛生分野がいいかな。
というステップを踏んで、今の専攻に至る。
英会話のおかげ。本当に。
(サッカーを通じて得た、気質もあるが)
しかも、予備校と違って、
違う学校の人、違う年齢層の人、社会人、、、
様々な人が、それぞれの目的をもって集まっていた。
励ましあいながら、刺激を受けて、
留学だとか、将来のことを考えるようになった。
そういう機会が、繋がって繋がって今がある。
英会話はもう、こっちきた時点で、
当然の能力とされてしまったけれど、
こっちに来れたこと自体、
そしてバングラデシュでの経験などが
今後に繋がっていくんだと思う。
なんか、そういう連続性が保たれているうちは、
将来のことを真剣に考えていたいなと思ってみた。
思い詰められるだけ、考える事があるっていうのは、
良い状況なのかもしれないな。
一晩たって思ったけど、
火縄銃って表現があって、馬鹿にしてるようにとれた。
よって変えました。
でもそんなつもりないです。
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