体重計ったり、尿を採ってきてもらったり。
体重を計るとき、地面が平らではなかったようで、
場所を変えて3度計測していた。平均をとるのだろう。
尿は簡易の試験紙があり、リトマス試験紙のように、
パラメーターの程度が色の変化で調べられるようである。
対象は夫妻なので、
インタビュアーが一方に生活のことを聞いている間、
ドクターがもう一方を診断しているという具合。

1組目はどうやら順調だったらしい。
夫が働きに出ている場合など、
どこにいるか検討がつかなかったり大変だという。
広大な畑のどこかにいたりしたらどうするのか。。。

2組目以降は、一箇所で行った。
ドクターが来たとなると、やたら人が集まるのである。
狭い家屋の中で診断が始まるのだが、、、

この日は、なぜだか異人がいるということで、
興味津々、いろんな人が集まってきた。
家屋の中はもう、、、仕事にならない状態。
その異邦人は囲まれ、異国語で質問される。
彼は紙とペンを取り出し、
国旗を書くことで理解してもらおうと思ったが、
国旗が色違いなだけで、
四角に丸という形は変わらないため通じなかった。
うっかりがっかりである。
アルファベットで国名を書くことで、やっと通じた。

いつもはいないはずの異邦人。
彼のために、家屋は人だらけ。。。
ぺちゃくちゃしゃべるし、人口密度は高くなるので、
ドクターとインタビュアーにとっては邪魔に違いない。
異邦人は、気を使ってか外に出た。
予想通り、ぞろぞろと皆、出てくる。
「皆、暇なのか?」彼はそう思った。
子供からお年寄りまで、
こんなに人がいるのかと思うくらい集まってきた。
なぜか椅子が差し出され、ちょっとした広場の真中に座ることに。
彼は完全に囲まれ、じろじろ見られる。
片言の英語をしゃべれる人もいるので、
名前のやりとり程度の会話が成り立っていた。

異邦人は、嬉しく思っていた。
皆は、心からの興味で、目が輝いていることに。

彼は、アメリカの大学に通っており、
その一環としてバングラデシュに来ている。
先進国で育った彼は、発展途上といえるその国が、
どんなところか心を裸にして感じたいと思っていた。
しかし、到着してみると、
アメリカでも、彼の母国の日本でも味わったことのない
そして、彼にとってなんの意味のない気の使われよう。
メイドに世話をされ、3食、ベッド、シャワー付き、
夕方になると観光に誘われるというお客様扱い。
何よりも、、、研究プロジェクトの骨格を担う人たちは、
その異邦人には、行きたいところはないか、
不自由はないかといつでも気を使うのに対し、
メイドやアシスタントとして雇用されている人材に対しては
常に眉間にしわを寄せ、目を合わせることなく怒鳴っているという
態度の違いに失望していた。

ところが、村の人たちの彼に対する態度は、
まさしく、「人類、皆兄弟」であった。
ひとりの人として、彼を見ていたのであった。
いや、一匹の動物という表現すら認められるだろう。
恐れもせず、気を使いもせず。

彼は今までの自分が、間違っていたように感じた。
誰にだって彼は心を開く自信があった。
しかし、その心の扉は、いつのまにか頑丈な施錠が
いくつも掛けられているのであった。
最低限の社会的、あるいは個人的な情報が
ひとつひとつ鍵となるって、やっとのことで開くのである。
彼にとっての素直さとは
ただ施錠の鍵穴を差し出すことでしかなかった。

しかし、彼を囲んだ村人たちは、
施錠など持っておらず、開け放たれていた。
「中を見たければどうぞ。」
そんな雰囲気を彼に与えていた。

言語が通じないために、
その異邦人にはどうすることもできなかった。
しかし、彼の開かれることがあっても施錠で守られた扉の中は、
彼を囲む人たちにとってはどうでもいいということが、
彼には感じとることができた。その瞬間、彼の心には、
皆を受け入れるためだけの、それまでになかった別の空間ができた。
扉などない空色の空間。

彼は笑った。
心から楽しいと思っていた。

1人の村人が、
その辺を散歩していた鳥の雛を捕まえ彼に差し出した。
そして、雛と彼とを指差して、次に空を指差した。
「ジャポネ!ジャポネ!」
日本に持っていけという意味と彼は解釈。
「ナー、ナー!」
と言って断り、また笑った。
皆も笑っていた。

これといったコミュニケーションはなかったが、
彼はとても晴れやかな思いをしたのだった。
インタビュアーが彼を呼び、
仕事が終わったことを告げる。
フィールドワーク終了。帰路へ。

行きのときに乗ったバスを待っている間の会話ははずんでいた。
彼は、感動ともいえる思いを伝え、ふっと浮かんだ質問をした。
「ドクターも、こういう村で育ったのですか。」
ドクターは普通にそうだと答えたのだが、
それは異邦人には大きなことであった。
医学博士という言葉には、裕福であるという条件が
絶対的に伴うものであると勝手に考えていた。
実際、そうでないにしても、
それなりの学力が必要とされるものと。
しかし、隣に座るドクターは、
先進国に比べるとはるかに教育の劣るであろう村の出身。
大学教育を受けるのにも苦労したことであろう。
そして、アメリカに援助されているという規模のプロジェクトに
携わっているドクターなのである。
彼のそこまで至るまでの意志の強さに、
3種の神器がすでに神器でなくなった環境で育ったその異邦人は
彼を尊敬するとともに自分を恥じた。
また、何より、そのドクターは、自分を育ててくれた環境に、
ドクターの知識と経験で貢献しようという立場にある。。。

しかし、ドクターに至るまでの経緯が、
勉強に専心した時代、環境が動機づけになったといえなくもない。
今回、訪れた村でもヒ素の汚染度が、安全の基準値の4倍強であるという。
ドクターの育った環境も、何かしら子どもの目にも
異常とわかる集団的な発症があったのかもしれない。
あるいは、個人的に医学に対する圧倒的な出来事があったのかもしれない。
確かに医者という立場には、憧れにも似た思いが異邦人にはあった。
しかし、その思いは彼が直接に医者にお世話になったわけでも、
医者がこの社会にはまったく欠如していると
強烈に思わせる事実があったわけでもない。
ただなんとなくの医者という社会的地位に対する憧れである。
それは、特にどうしようもないことのように彼は思った。
今となっては、彼は医者の必要性が十分に理解できるが、
子どものころに、医者の必要性を特に感じないというのは、
自分が健康に育った、あるいは家族、新籍、友達にも
とくに医者の存在を印象付けるできことがなかったのだから。

では、ドクターが村落から育って、医者になろうと決意するというように、
彼は日本のある地域で育って、何になろう決意することができたのか。
彼の過去には、少なくとも大学教育に関わるまでは、
彼の将来への意志を確固たるものにするだけの
事実、環境、彼自身の意欲は何もないに等しかった。
高校生の頃、漠然と世界へと目を向けたことから、
大学の頃から少しずつではあるが、
将来に向かって歯車が稼動していた程度である。
彼は高校までの自分の過去を省み、恥ずかしい思いと、
影響を与えようとしていたに違いない数々の要素に対して
申し訳ない思いを抱いた。

バスが来るまで時間がかかるようであった。
待っている場所は、さすがにバスのためであるように、
まわりからも見晴らしの良いところで、
川が流れ、どこまでも畑の広がる平原であった。
邦人は少し歩いてみるとドクター、インタビュアーに伝え、
1人、川の橋の上まで歩き、大平原を臨んだ。
ある種の感動を得た。
目の前の大平原と比べても小さい自分。
複雑な思いを抱いた彼であったが、
後悔しても始まらないし、
とにかく素敵なことも得てきたそれまでであったし、
まだ遅くはないはずなのだからと、大きく背伸び。
深呼吸をし、とりあえず胸に秘蔵しおいたのであった。

その異邦人はさらに、
彼の何気ないはずの日常から得たものを伝えようと、
思い立ったのであるが、それがこの文章であり、
彼とはすなわち、私である。この客観化は、
過去に私が読んだ、カミュの「ペスト」という小説の模倣である。
その物語りは、私の記憶が定かではないが、
リウーという臨床医師がペストの猛威と格闘する話なのだが、
架空である彼の立場と、
バングラデシュでの現行するプロジェクトとの類似性、
そして、私が異邦人であることを踏まえ、模倣した。
ちなみに、「異邦人」は読んではいない。

バスが到着、乗り込んで
時代の流れを早送りしていくように首都ダッカに向かう。
2時間後には埃の舞う喧騒にたどり着き、
長い一日は終わったのだった。

―――
後書き
 途中から、いきなり小説にしました。
気まぐれ因子の作用です。

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Bow

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