統計の講義を比喩しよう。
たとえば、料理番組・・
通常、一般的に料理番組などで料理を教える人は、
食材や包丁などの調理器具がそろっていることを
前提として番組を進行していくと思う。
‘(準備済みなことを)当然のこととするはおかしい!’
と、いちいち異議を唱える人はいない。

(それを当然のこととしないのを可笑しくするのも面白いけど。
「フランスから輸入した子羊の頬肉を、・・」とか・・。)


料理を紹介する番組で、料理をしつつ、紹介するはずの人が、
食材を手に入れるのがどれほど難しいかとか、
あるいはその食材の由来や歴史など、懇々と説明し、
包丁の特徴や技術発展の経緯など、事細かに解説したとすると、
視聴者は、
「ちょっとちょっと、早くしてよ」
と思うところでしょう?
とはいえ、背景の解説も多少は必要なこともあるし、
視聴者の興味を引き立てることも可能だし、
視聴者も必ずしも拒否したりせず、許容できたりもする。

統計学や数学の講義が行われたとき、
学生と教授との間に、互いの興味と関心の間に溝ができ、
言葉にできなくても、うんざり感を醸し出してしまうことがあると思う。
この感覚は上に挙げた料理の例に似てると思われる。
  
 
この間の秋、統計学の講義のTeaching Assistant (TA) というのをやりました。
自分の学問領域は、統計学に依存するところが大きいので、
統計学を統計の先生に学ぶ機会があるのは良いこと。。
といっても、純粋な統計的理論等々に通じている必要はそれほど無く、
1.どういった方法があり、
2.どのように使っていけば良く、
3.どのような落とし穴に気をつければ良いか
というところに通じている必要があると考えられている。
(そう自分は考えている。)

統計学者は、統計学の深いところを教えたがるというか、
先に例えた様に料理の専門家が、食材や食器の奥深さを
伝えたがるという、そういう姿勢があからさまに見てとれたのだけど、
学生側からすると、そんな深いこと必要なわけ?と何度も疑問に思ったと思う。
(とても重要な、根本的な内容を教えたがっていたようだが、
背景に隠れる基礎的な理論が揺ぎ無いものであればあるほど、
その理論を無視してもかまわないのでは?
たとえば、十進法の理論とか。)

学生としては、漠然とした必要性は感じているものの、
いったい何が重要で、自分の興味をどこに向けたらいいのか、
無意識のうちでも混乱していたと思う。

航海をしていて、素晴らしい未知の世界を目指して、
神様のお告げに従っていたら、未開の荒れた辺境地に着いて、
神様から、新たな開拓を激励されたかのような感覚。。たぶん。
 
   
    
    
 
  
疫学(医療)統計学者と疫学者、
経済統計学者と経済学者、
心理統計学者と心理学者・・

疫学者は車の運転手で、統計学者は、車のメカニクス。

疫学者・経済学者・心理学者は、上手に車の運転をしたいのだ。
砂嵐の道でも、雪山の道でも、安全に・・必要な知識を持っていたい。
そのための教育を、必要としている。
そんな教育の機会で、統計学者が車のメカニクスとして、
どれだけ車のエンジンの構造が素晴らしく計算されつくされているか・・
などと切に語ったところで、
「ちょっと、興味ないんですけど?」
と思われてしまうのだ。

どんなに有能な研究者で、教育に情熱的でも、
教えるのがあまり上手でなかったりすることがあるとは思うのだけど、
上に例として挙げたような、すれ違いがあるかと思う。
教授が「教えなくてはいけない事」と考えているのであれば、
なぜ教えなくてはいけないか・・を説得する段階を経なくてはいけないと思うのだけど、
それが無いとなると、むむむと感じるのだ。
学生は論点が定まらず、興味ももてず、魅力を感じる機会を失い・・。
  
  
 
  
というようなことの一部を、
カリキュラムの構成委員会に伝えました。
先日、委員会が開催されたそうで、
どんな議論がなされたのでしょう?
自分の耳に入ってくればいいな。

写真は2007年の学会場・・
今年も6月にあるので、次第に意識を高めて参りましょう。

コメント

karia
LA−まま
2008年5月17日20:27

フローレンス・ナイチンゲールが実は統計学者でもあることをご存知ですか?
きっとBowさんならご存知ですよね^^

今日の日記にBowさんが書かれていることと同じようなことを
私も常々思っております。
看護学生に対する解剖学や生理学、病理学に薬理学。
それに公衆衛生学も^^;
そこまで必要なの?って。

看護するにあたって必要な解剖学とか生理学とかは
医師が必要とするそれとは違うんですよね。
大切な学習であることに間違いはないのですが
現状の講義では内容が難しすぎて
学生には苦手意識だけが残っていきます・・・

共感するところがあってコメントさせていただきました。
いつも日記を見に来てくださってありがとうございます。
リンクさせていただきました。
よろしくお願いします。

Bow
Bow
2008年5月18日7:32

◇LA-ままさん、こんにちは。
リンクにコメント、ありがとうございます。
こちらこそ宜しくお願い致します。

ナイチンゲールの話は、
統計の論文にどこかで目にしたことがあるのですが、
その際、あぁ、読みたい!と思ってそのままにしていました。
すっかり忘れておりました。。

私もそうですが、応用の分野や実践で触れることで、
生理学や基礎科学の必要性を認識しますよね・・。
学生の時に、「教養」として数学などの基礎科学を学んでも、
学生にとっては必要性に実感を得ていないので、
やっぱり意欲の出ないものではないかと思います。

私が化学の学部生だったとき、教養として数学や物理を学びましたが、
数学科、物理科の先生も、「教養」としてのみしか教えることができず、
本当に化学者が必要とするべき内容、少なくともそれにつながっている事実などを、
熱意をもって教えてくれたかというと、そうではないように思います。
疫学や医療統計の領域に足を突っ込んだ立場からすると、
医学部生の「教養」の数学についても、同じことが言えるかと思います。

どの分野でも、同様のことはあるのでしょうね・・
お年頃の学部生の勉強に対する意欲にも問題かもしれませんし、
教える側、教わる側の双方の、考え方・教育現場に臨むシステムに改善の余地があるかなとも思います。

あぁ、、こうしてつらつら書いてしまいますね。
あらためて、宜しくお願い致します。
Bow

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