文章を扱う・・
2008年4月6日 ●Boston●学術(語学・交流)
昔、同時通訳の人の仕事ぶりを紹介する
ドキュメンタリーがやっていた。
国連関係の会議の中で、
適確に話を把握して多言語に同時に翻訳する。。。
鍛錬されているのだろう。
その男性のご一家にカメラが入り込む。
一家団欒の様子が映し出されるのだけど、
その男性は、まったく会話が適当なのだ。
子供との会話、奥さんとの会話。。。
家族は、口をそろえて、
「同時通訳しているだなんて信じられない」
と言う。
意識の向けようで差が出る・・。
先日、学術的な交流を目的として、
講演とパネルディスカッションを兼ねた会の司会を行った。
講演は良いのだけど、パネルディスカッションでは、
議論・質問の内容を理解して、適当に分解して、パネリストに問いかけたりする。
パネリスト1人1人に話をしてもらうため。
けっこう神経を使うもので、良い経験になった。
また、その機会では急遽、スポンサーの宣伝が入り、
スポンサーの方は話をすることを遠慮したので、
自分がその宣伝を行うこととなった。
宣伝内容をポイントだけ理解して
その内容を来て頂いた方に説明する。
頭でしっかり考えて、言葉にする・・。
できる・・。司会の運び方は賛辞も頂戴したし。。
東大の科学者で、
「理科系の作文技術」
という本を執筆された木下是雄氏は、その本の中で、
「科学者は解り易い文章を書くだけではなく、
紛れも無い文章を書かなくてはならない」
と述べている。
(http://www.amazon.co.jp/dp/4121006240 この本、、、
1981年に発刊されたものだが、高い評価。)
理解し易くするのは当然で、
どちらともとれるような、そんな文章は書いてはならない
と・・そう言っているんだ。
主語を省いても文章が成り立ってしまう日本語・・
そんな日本の文章が誤解を生んでしまう例が、
この本にはあったな・・・確か、次のような例:
「AとBとは化学的に反応します。」
という文章・・・
1.Xという物質があって、
そのXがAとBとそれぞれと反応すると言っているのか、
2.AとBとがお互いに反応し合うのか・・・
話し手の頭の中に、「Xについて」というテーマがあっても、
もしも、聴き手にそのテーマが無かったら、
変な誤解を生むことになるんだ。
「延期させて頂いてもよろしいですか?」
1.私がお願いしたことなのに、申し訳ないのですが、、、
2.〇〇様と私で、先ほど決定した件ですが、、、
3.〇〇様が私に依頼なされた件ですが、、、
前置きをどう付けるかで、全く意味が変わってくる。。。
話し手と聴き手で状況が明白だとしても、
気配りとして、絶対に前置きを付して、
内容を明確にしなくてはいけないところだ。
作文のような機会を除いて
こんな風に日本語を意識したこと無かったか。。。今更だが。
愚かで・・・無礼な事をどれだけ言ってきただろう。
しかも、自分はそれになかなか気付かないんだ。
「もう1度、話す機会がほしい」
そんな風に思うことがたくさんある。
科学英語など・・なんか解り易い機会でしか意識が向いていない。
自分はそんな奴だ。
そういったことに意識を向かわせろ。
国連の会議での同時通訳者が持つ意識のスイッチ・・
常にオンにしておかなくては・・
っていうか、常識の範囲の配慮では
常にオンなのが当然なのだろうが、
自分はそうじゃない・・適当過ぎるにも程があるぞ。
ドキュメンタリーがやっていた。
国連関係の会議の中で、
適確に話を把握して多言語に同時に翻訳する。。。
鍛錬されているのだろう。
その男性のご一家にカメラが入り込む。
一家団欒の様子が映し出されるのだけど、
その男性は、まったく会話が適当なのだ。
子供との会話、奥さんとの会話。。。
家族は、口をそろえて、
「同時通訳しているだなんて信じられない」
と言う。
意識の向けようで差が出る・・。
先日、学術的な交流を目的として、
講演とパネルディスカッションを兼ねた会の司会を行った。
講演は良いのだけど、パネルディスカッションでは、
議論・質問の内容を理解して、適当に分解して、パネリストに問いかけたりする。
パネリスト1人1人に話をしてもらうため。
けっこう神経を使うもので、良い経験になった。
また、その機会では急遽、スポンサーの宣伝が入り、
スポンサーの方は話をすることを遠慮したので、
自分がその宣伝を行うこととなった。
宣伝内容をポイントだけ理解して
その内容を来て頂いた方に説明する。
頭でしっかり考えて、言葉にする・・。
できる・・。司会の運び方は賛辞も頂戴したし。。
東大の科学者で、
「理科系の作文技術」
という本を執筆された木下是雄氏は、その本の中で、
「科学者は解り易い文章を書くだけではなく、
紛れも無い文章を書かなくてはならない」
と述べている。
(http://www.amazon.co.jp/dp/4121006240 この本、、、
1981年に発刊されたものだが、高い評価。)
理解し易くするのは当然で、
どちらともとれるような、そんな文章は書いてはならない
と・・そう言っているんだ。
主語を省いても文章が成り立ってしまう日本語・・
そんな日本の文章が誤解を生んでしまう例が、
この本にはあったな・・・確か、次のような例:
「AとBとは化学的に反応します。」
という文章・・・
1.Xという物質があって、
そのXがAとBとそれぞれと反応すると言っているのか、
2.AとBとがお互いに反応し合うのか・・・
話し手の頭の中に、「Xについて」というテーマがあっても、
もしも、聴き手にそのテーマが無かったら、
変な誤解を生むことになるんだ。
「延期させて頂いてもよろしいですか?」
1.私がお願いしたことなのに、申し訳ないのですが、、、
2.〇〇様と私で、先ほど決定した件ですが、、、
3.〇〇様が私に依頼なされた件ですが、、、
前置きをどう付けるかで、全く意味が変わってくる。。。
話し手と聴き手で状況が明白だとしても、
気配りとして、絶対に前置きを付して、
内容を明確にしなくてはいけないところだ。
作文のような機会を除いて
こんな風に日本語を意識したこと無かったか。。。今更だが。
愚かで・・・無礼な事をどれだけ言ってきただろう。
しかも、自分はそれになかなか気付かないんだ。
「もう1度、話す機会がほしい」
そんな風に思うことがたくさんある。
科学英語など・・なんか解り易い機会でしか意識が向いていない。
自分はそんな奴だ。
そういったことに意識を向かわせろ。
国連の会議での同時通訳者が持つ意識のスイッチ・・
常にオンにしておかなくては・・
っていうか、常識の範囲の配慮では
常にオンなのが当然なのだろうが、
自分はそうじゃない・・適当過ぎるにも程があるぞ。
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