自戒を込めて。

これまで何度か、
「文章は伝わりさえすればいい」
というようなことをよく聞いた。英語圏出身の学生からも聞く。
「内容が伝わることがもっとも大切だから」
という意図なのか、
「文法的に誤っていても伝わればよい」
という意図なのか、真意はよくわからないが、
アジア人は特に後者に重きがおかれているように感じる。

正直、
「文章は伝わればいい」
という表現をする人は、
自分の英語の正確さに自信が無いから
そういってごまかしているようにしか、自分には思えない。
そういう人の文章は、ほとんどの場合に次の点で引っかかる。
・表現に凝っていて読みづらい。
・文が長くて読みづらい。
・文の意味はわかるが、文章の意味がわからない。情報が散乱状態。
・文章に流れがなくて読みづらい。

よく言われるように、日本の英語教育には問題があると思う。自分は、問題の1つをあげるなら、1年かそこらの留学と学術論文を通して英語とで学んだ日本人が英語を教える、あるいは、日本語の質をわかっていない外国人が英語を教えるということだと考えている。そういう状況にひどい違和感を覚えるし、そういう状況に曝された学生について不憫に感じる。

まだ書きたいことはあるが・・・

ということを、
そういう話に関心が高い工学系出身の父と話をしたところ、
次の論文を紹介してもらった。
(名文らしく、幸いにもウェブでアクセス可能)
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jps/jps/topics/Leggett.pdf

1966年の文章のようだが、おすすめ。物理とか関係なく。
他のアジアの言語については知らないけれど、
筆者が日本語を勉強したうえで、
日本人の英語の特徴を把握し紹介、そしてアドバイスをしている。
説得力がある。

「文章は伝わればいい」
ということについて、自分としては
(そりゃ、相手に失礼だろう)
と思う。読む方はたまったものではないのでは。
普通、話をするとき
「話す内容は伝わればいい」
とそんな風に思って話をする人はいない。
相手に伝わるように、
長々と言い過ぎないようにする配慮をするものだろう。
そういうところが書くことにも共通すると思っている。

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Bow

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