文の流れ。

例文1)
A caused B. B increased C. C suppressed D.
Finally, D vanished.

というよう、、、
前の文を受けて、
後ろにLogicを繋いでいくことが重要なんだと述べた。

この文を、

例文2)
B was caused by A. C increased as B happened. D was suppressed by C. Then, D vanished.

というように、流れがわからないようにすると
文が通じなくなると述べてみた。

最近、
栄養政策の論文を読む機会があった。
World Trade Organizationの話、法律用語など・・・
別世界に飛び込んだときのような摩訶不思議感覚♪

 とある偉い先生の論文なのだが正直、読みにくい。
上の例文2のような構造であることに気がついた。

なぜ、こうした文が本当の論文に登場しうるのか。
それは読み手の知識に関する暗黙の了解があるからだと思う。

B was caused by A. C increased as B happened. D was suppressed by C. Then, D vanished.

という例文2について、
読み手がA、B、C、Dについて詳しいとき、そしてそれらが何らかの形でリンクしていることを知っているとき、この文は読めるようになる。読み手は推測で話の流れが期待できる。その期待のため、文章の流れに関する問題が消失する。

例文4)
My mother bought vegetables for dinner. Her soup got so nutritious thanks to lots of those vegetables. My father put salt in it, letting the soup less healthful, because he had expected more spicy soup.

和訳は一番下に添えた。

上の文は読める。けれども、読みにくい構造をとっている。
最初の文で、
「母が夕食のために野菜を買ってきた」
という話から、急に主語がスープになっている。
読みやすくするなら、母がDinnerのためにスープを作ったという話を示したのちに、栄養価が高いスープが提供されたことを述べなくてはいけない。

My mother bought vegetables to cook veg soup in a dinner. Thanks to the vegetables, her soup got very nutritious.

というのが、最良がどうかわからないが・・・
最初の文で、すでにスープを作るんだということを述べた。
そのために、話が繋がる。

しかし、実は、元の文で、それほど難なく読めたと思う。
それは、
「野菜を買ってきた。」という内容の次に、
「スープ」が現れれば、読み手は、
(あ、買った野菜はスープに使ったのね)
という考えを展開できるから。だから話を繋げることができる。父親が急に登場するが、そこに違和感があるとしても、すぐに話は繋がる。

こうした簡単な文章では、
そういった予想をたてることができる。だから読める。
文章の流れはあまり問題にはならない。

話を栄養政策の論文に戻す。
手に取った栄養政策の論文を読むにあたって、自分は、文の内容と流れについて、予想を立てることができなかった。だからやたら読みづらい。

というのも、その論文は、
「予想を立てることのできる専門家」
にしか読めない論文。

良い論文と言えるかというと、そんなことはない。ある程度の知識がないと、読めない論文で不親切極まりない。そもそも、栄養学というのはたくさんの分野が交わりあう論文。栄養政策だけでも、政治学や法律、経済が絡んでくる。ある程度の知識や経験を有していないと読めないようでは駄目。
(意図的に敷居を高くしているのなら別だが・・・)

ほんの少しの単語の並び替えや、いらない単語の除去、ちょっとの単語の追加だけで、予想を立てながら読む必要を軽減することができる。

そうした努力が、その論文にはないように思う。

こうした努力をプロはどれほどしているのか?
ほとんどしていないと思われる。
そうした論文が多いから。

これからは自分の意見。
今のところ、これらの意見に反するアイデアは浮かばない。

?科学の領域は基本的に閉じた社会。そのために、文章の流れを予想できる連中が集まっている。文章の流れが乱れていても、読み手のほとんどは予想できるので、受け入れられてしまう。文章の流れを気にしましょうという事柄は軽んじられる。

?「ある程度の予想が立てられる」
「文章の流れが乱れているという問題は二の次」
ということが前提になっているため、
他の分野の論文を読むときなど、やたら面倒なことになる。

?その他の分野との交流が難しい領域では、雑誌の数が増える。そうでないと、交流が図れない。共通の知識のまったく違う分野では、別の雑誌を仲介させて、論文の数を増やして、交流を図るようにしている。糖尿病や肥満など、生活習慣病に関する雑誌がやたら多いのは、そういう理由もあるんじゃないかと思う。

?論文をたくさん読むことによって、次第に英語の論文が読めるようになったと「錯覚」する。これは実は、
「話の流れに予想を立てることができるようになった」
というだけであって、論文が読めるようになったというのと、別な話だと自分は思う。
「○○に関する論文が読めるようになった」
と述べるべき。

?論文が読めない若手などは批判されてしまうかもしれない。
気の毒なものである。なるべく基本知識無しで読めるように丁寧に書かれた論文が少ないために、読み手の負担がそれだけ増えている。

?アメリカ人でも日本人でも、英語のよい表現などがあれば、参考にして採用する。多くの場合は、単語や句の表現などを採択して、つぎはぎにして用いる。流れを損ないがちで、よくわからないことが多い。たとえ、良い表現だったとして、流れを損なってしまっては台無しである。「文章の流れ」を含めて参考にするとよい。あるいは、自分の文章の流れを大切にして採用するようにするとよい。

ここで切ろうかな・・・

和訳:私の母は夕食のためにたくさんの野菜を買ってきた。スープは、それらの野菜のおかげで、とても栄養価の高いものとなった。私の父は、塩をそれに加えることで、栄養価を下げてしまった。というのも父にとっては味気が薄かったのである。

補足:
日本語と英語の構造の違いのために、英文の文章の流れを、和文の文章の流れに正確にそのまま訳すことが不可能であることがわかる。たとえば、英文の流れを保つため、英文の最後の1文は和文では2文に分けてある。

和訳とか英訳とか、内容だけでなく、言葉の流れも訳さなくてはいけない。詳しくは知らないが、、、和訳・英訳の段階で気をつけなくてはいけないことでは。日本人が英語を書くということは、厄介なことというのが、そうした構造の違いからもわかるかも。

和英の翻訳のプロは英語と日本語の両方に長けていないといけないから、文の特徴など独特の視点があるんだろうな。いつかは通じてみたいものです。

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Bow

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